『バットマン・ビギンズ』闇の騎士、仮面舞踏会より帰還す。

ゴシック調子のゴッサムシティを舞台にケレン味たっぷりのティム・バードンワールドで展開されていた従来のシリーズとは一線を画し、(まあ、フォーエブァーと&ロビンはあくまでバードン風でしかなかったですが...)かの名作『バットマン・イヤーワン』を髣髴させるダークかつシリアスな展開でバットマン誕生の経緯を描くということで話題(?)の今回の『バットマン・ビギンズ』。じゃあ素直にイヤーワンを映画化してくれよ!!と突っ込みをいれたファンも少なくないんじゃないのでしょうか。ともかく、予告編で、あまりにも面白みの無くなったゴッサムシティを目の当たりにして、リターンズ以降のダメダメな裏切られの記憶もあいまって、昨今、ここまで期待せず映画館に足を運んだことはなかったかと思います。

 そんな不安のなか鑑賞した新生バットマンですが、いやまあ結論からいうとブラボーでございました!!正直、正直ここまでバットマンでまともで面白い展開を見せてくれるとは思いませんでした。いやまあたしかにラスボスへの最後のセリフを始めラストに少し食い足りなさ(大人しさ)を感じる点はありましたが、それでもイヤーワンへのリスペクトであろうあのラストシーンは、(それが自分的にこうなって欲しいと期待していたものドンピシャだっただけに)本当に鳥肌が立ってしまいました。

 今回、バットマン誕生までの経緯が執拗なまでに細かく描写されている本作。ヒーローの誕生を描くと言う上で同じく傑作であるラミイの『スパイダーマン』が、スパイダーマンとしての“大いなる責任”を決意するまでの『ピーター・パーカー』のドラマであったのと対象的に、今作では復讐から行動を開始したブルース・ウェインがいかにしてバットマンになるかの物語、そう、あくまで『バットマン』の物語になっていたところが印象的でした。しかも、“仮面を被ってしか本当の自分になれない”といったこれまでのバートン的な解釈とは違い、ラーズ・アル・グールといった反面教師としての正義の在り方と対峙していく中で見出した“正義のシンボル”としてのバットマンとしてのです。『バットマン・ハッシュ』の中でキャットウーマンに“一匹狼にしてはファミリィーが多すぎる”と揶揄されるバットマンですが、本作でも、決して多くはないのですがブルースと同じくゴッサムの平和を守ろうと奔走する仲間がいます。点としてしか悪に抗えなかった力を1つにするシンボルとしてのバットマン。(そういえばゴートンや検事にもバットマンからアプローチしてたなあ)同じ傷を持つ同類にしか心を開かなかったキートンバットマンと本当に対照的です。また、強盗に両親を殺された恨みから悪に対して偏狭的な衝動に描かれていたキートンバットマンとこれまた対照的に、父トーマスの存在をクローズアップさせることで、ただの復讐鬼ではない、ゴッサムの守護者としてのバットマンの立ち居地も示せていると思います。スケアクロウの見せる幻覚の中、人間としてのヒーローであるバットマンが魅せる“神秘性”こそが、ブルース一人では見いだせなかったであろうシンボルとしての力なんだろうなと思いました。

 自分にとってオールタイムベストの映画と言える『バットマンリターンズ』。そこで繰り広げられた仮面の怪人たちの悲しくも華やかなカーニバルは、気がつけば悪趣味な見世物小屋に取って代わられていました。もうあの世界が二度と帰ってこないのはとても悲しいことですが、時を経て、ある意味本来の自分の姿を取り戻して還ってきた闇の騎士を、僕は歓迎したいと思います。そして、杞憂をよそに若き闇の騎士の帰還に最大限の労力を尽くしたであろうスタッフにもあらためて感謝です。

ああ、でも人は入ってなかったなぁ。スターウォーズシスの復讐)や宇宙戦争の波に飲み込まれることなく、この良作がより多くの人の目に触れることを願う次第です。