ゴールデンウィークの数少ない休日。辺土まで出向き義本王の墓まで赴く。先日ヤラムルチの沼に赴いた際、その伝説が義本王の時代のものだということをその地の案内板でしりそれ以来なぜか興味を惹かれてしまった。源為朝の遺児という伝説を持つ舜天王の王朝三代目の王にして、天災に見舞われ徳の無い自身を嘆き、その王位を家臣である英祖に譲ったという伝説の持ち主義本王。その墓がなぜ当時辺境であっただろう辺土に残っているのか興味は尽きません。先述のヤラムルチの大蛇の話の他にも、玉城城で焼身自殺を図るも大雨で阻止される話や、その息子が与論にわたり按司になる話や、同じく子供を箱につめ海に流したら伊是名島に流れ着き、その子の子孫が第二尚氏の始祖尚円金丸となったなど、義本王を彩る伝説は枚挙を厭いません。(ちなみに現存する義本王の墓は明治のはじめ頃尚家が改修したものだとのこと)この王にまつわる物語は、その始祖といわれる源為朝と並び沖縄でもっとも古い貴種流離譚と言えるのではないでしょうか。

国道の脇からなにやらわけありげに伸びる階段から、少し山道を分け入ったところにひっそりとたたずむ義本王の墓。お墓にこの表現はどうかとおもいますが、苔むした墓石が醸し出す風情はなんとも穏やかで心休まるものでした。

樹木に隠れて解かり辛いですが、墓の後ろには沖縄を創造した神様アマミキヨが、最初に降り立ち作り出したと言われる聖地-御嶽、安須森が聳えています。辺土岬から後方の山並みを望んだ際誰もがギョッとする奇岩の連なり、それが安須森です。この本島最北端の峻厳なランドマークは、義本王の伝説の始祖である為朝が、その琉球入りの際最初に映った光景であったことでしょう。神話を湛えた聖地に見守れたこの場所で、伝説に彩られた運命を余儀なくされた王は、なにを思いその晩年を過ごしたのでしょうか。