さよなら知念城 

ひさかたぶりに土曜日が休みだったので知念城に足を運んでみたら、修復中だった城門まわりの石垣はとりあえず組み終わっているようだった。

新らしい石垣との境目。

城の中から。


…PCを整理していたら、2003年の6月に撮影した知念城の画像が出てきた。



同じく城の中から。

初めてこの城を訪れたときは、その森底深くに眠る石垣のまるでこの世ならざる佇まいに本当に心奪われたれたもので、特に森の最深部城の奥に足を踏み入れることで現れる眼下の海の広がりは自分にとって一番大好きな景色だった。

一番最初に撮影したときはまだバカチョンのフイルムカメラ。それからデジカメに手をだしキャメデアのC-3040、C-750、それにK100DK20Dとカメラを替えてきたけど、思えばそれは稚拙ながらなんとかこの景色を少しでも綺麗に収めたいと思っていたのかもしれない。カメラ替えたりレンズ増やしたりするたびここにきてたもんなあ…。じつは今日この場所に来たのも、オークションで手に入れた安物フィルム一眼レフで、まず最初にこの景色をとっておきたかったからだったのだけど。


 なんでもこの福木の裏に蜂の巣があるとのことで、広がりを遮るように足止めのガードレールが設置されていた。



この城を訪れる度、その情景に感動しながらも、今日こうやって目にすることができた景色も、いつの日にかは人知れず朽ち果てて、その存在が無くなる終わりの時は来るんだろうなあなんてことをなんとなく考えながら後にすることが多かった。今となっては人の営みの場から離れた森の奥の城跡には、そう思わせるはかなさがあった。まさかこんな形でやってくるとは。


思えば、夕焼けのころまでこの城にいたのは初めて

城の中の拝所の奥。自分勝手な訪問者のそれこそ勝手な感傷などとは無関係に、あたらしい芽吹きが夕陽を受け輝いていた。

そういえばついさっきまで、この崩れかけた配所の前で手を合わせ拝み(うがみ)をしているご婦人達の姿があり、邪魔しないよう少し場所を移していたからこんな時間になってしまっていたんだった。本来の役割を終えたとしても、時が流れ姿を変えていくなかで、その場その場で行われている営みこそ、それがその場所のあるべき姿。それが本来の姿であるかどうかに関わらず、傍観者できることは、それを見守り感傷をかさねるだけなのだなあ…。